コロナで仕事が見つからない【40代】体験談

コロナで仕事が見つからず右往左往した経験談です。(現在夫は再就職しています。)こんにちは。オレンジコカム (@orangecocam)です。私の夫はコロナ前に転職希望していて前職を辞めていましたが、その後コロナウィルスが大流行。再就職に苦労しました。ちょっと恥ずかしい話しなのですが、誰かの役に立てればと書いてみました。今仕事を変えようか悩んでいる人、無職で先行きが不安な方を励ます内容です。いざ!

コロナが流行る前に転職失敗

私の夫は写真関係の仕事に20年以上従事していました。が、写真の会社の業績が悪くなり転職を考えていました。そして前職を辞める前に見つけたのが外資系PCのサポートセンターです。早々に再就職が決まり、前職を辞めるまでは良かったのですが・・・。

新しい仕事を続けるのが至難の業

外資系某PCのサポートセンターは決まりが細かく、お客様対応のほか修理部品の発注がありました。パソコンが故障する原因になった部品をマニュアルを見て判断。英文の取扱説明書を読み、修理日程に合わせて部品を取り寄せします。夫は自作PCを組み立てるほど機械好きのため仕事の内容には何とかついていけました。

しかしコールセンターでいくつもの作業をしながら規定のノルマをこなすことに馴染めませんでした。夫は仕事が終わってからも転職先の仕事の復習をし、業務のシュミレーションをしていました。しかしオフィスは紙の持ち込みが禁止。自宅での勉強にも限度がありました。結局、現場に出るための試験になかなか受かることができず夫は仕事を続けることを断念しました。

入ったその日から試用期間なしで正社員で働ける、給料もまずまずもらえる、など始めの転職先は制度の上で良い点が多々ありました。が、反面内容が難しく勤め続けられる人はわずかでした。(離職率がたいへん高い会社でした。)離職率が高い会社であることはある程度調べて知っていたのですが、夫も私も転職にはリスクが付き物。頑張れば勤まるのではと思っていました。

<再就職失敗の反省点>
・転職前にもっと色々リサーチが必要だった。
・ひとつの職が長いと持っている知識に偏りがあることも。
・自分の苦手なこと、得意なことが本当の意味で分かっていなかった。
・転職したい気持ちが先立ち冷静な判断が出来なかった。
・未経験の業種に就く時は本当に働けるのか慎重に判断しよう。

仕事の内容として他には私が営業事務として働いた体験談から失敗談と対策など書いています。↓↓↓

不安な中再再就職した先はブラック企業

転職先に勤め続けられないとわかった時の夫の不安そうな顔を私は忘れることが出来ません。転職するために色々と資金面で準備をし、臨んだ仕事に馴染めなかった、など私も想定していない事態でした。その都度相談を受けてはいました。「もう少し頑張ってみたら」と安易に夫に声がかけられないほどの落胆した様は心配になりました。

予想外に転職が失敗してしまい夫はすぐ次の会社を見つけようと画策します。とにかく求人情報を見て就職試験を受ける日々が始まりました。2019年秋のことです。何社か受けた末、焦りながら見つけた会社は20代の代表が設立したベンチャー企業でした。色々事業をしている中、ホームページ制作を新しく手がけたいと新部署を立ち上げた会社に入社したのです。

<ベンチャー企業面接時に聞いていたこと>
・土日祝休み
・新しく始めた会社のためみんながゼロスタート 相談しながら業務していきたい
・ホームページ制作の事業は実務経験がなくても働ける
・ホームページ制作は成長が見込める新部署のため増員したい
・会社の資金繰りは順調

入って数週間で雲行きが怪しくなる

新しい会社に滑り込んだものの夫の転職はまた上手く行きませんでした。新しく入った会社は色々と面接の時に聞いた話しとは異なりました。さらに入って数週間で経営の雲行きが怪しい様子が見えるように。会社には支払いの催促の電話や葉書が届きます。また、代表の人は良さそうな儲け話や真新しい物に飛びつくのですが、少しでもうまく行かないと結果を待たず投げ出す、いうことがありました。

夫が会社に在籍したわずか2ヶ月の間にまた新しい事業が始まりました。その新しい事業にかかる費用も社員のクレジットカードで支払しているなど、経営は火の車の様子です。そして夫が応募したはずのホームページ事業は一向に進む様子がありません。

その上代表の人は次第に従業員に責任を押し付ける発言をし出します。ある日「ホームページの部署を継続するにはこの売り上げでは無理」「新部署が儲けを出せないのはメンバーの力不足では」「〇〇さん(夫でない別の従業員の方)はアルバイトとして時給制に変えてもらう。」と発言。社員で入ってきた人が翌月からアルバイトになったり、夫も自家用車を持ち込んで営業に出るように言われたりしました。けれども新部署に代表の人が明確に営業方針を示すことはありませんでした。

高圧的な発言の上、従業員の提案は却下。結局求人と条件がかなり違ったため(祝日休みと書いていたが実際は出勤。給料の金額が異なる、仕事の内容が求人と異なり、営業に出るように言われるなど。)「この会社に勤め続けるのは不安だ・・・」夫は労基に相談に行き退職することになりました。

悩める人

再々就職したと安堵したのも束の間
またも転職することになります。

労基で言われたこと

労基が言われたことは、「仕事に就く時に雇用契約書を貰わなかったこと失敗」でした。ハローワークを通しての求人ではなくインディードから就職したため労働基準監督署ではあまり介入はできないと。労基は改善点を指摘し、訪問指導するくらいしか対応出来ないとのことでした。結局は夫は2度目に見つけた会社を自主退職しました。

振り返る2度の就職失敗

20年以上長く働いてきた職を夫が退いたのは2019年8月のことです。転職したPCのサポート会社にはわずか1ヶ月。ベンチャー企業には11月から12月末までしか在籍しておらず2019年の年末にはもう再々退職を決意していました。これは我が家の転職についての算段が浅はかだった、と言うしかありません。

一度目に転職失敗した時に失業保険を受給し、腰を据えて再就職すれば良かったとも思いました。(自己退職だと3ヶ月の待機期間があると思い敬遠しました。)その後2020年、1月からコロナウイルスが中国の武漢から広まります。我が家は暗い新年を迎えました。

コロナが流行り仕事が全く見つからない

2020年春からはコロナウイルスで自粛の生活が始まり、飲食店に勤務している人を始めとして7万人とも言われる失業者が出ました。夫は失業保険を受給しながら良さそうな仕事があれば履歴書を送るという日々を過ごしました。ただ失業者がコロナの前に比べて大きく増えたので、以前までのように書類選考を突破することすら難しくなりました。

このコロナ禍の状況ですぐに仕事に就くことは難しい。夫は次の段階へ向けて勉強を始めることにしました。また4月から1年生になるはずだった娘の入学式も6月に延期となります。私の仕事はテレワークにはならなかったため仕事が見つかるまで夫が娘と一緒に居る生活に入りました。

我が家は夫が家にいることで、コロナの自粛期間を乗り越えることが出来たのです。

失業保険受給:10ヶ月の無職期間

家族がすぐに路頭に迷ってしまうかと心配しましたが、我が家は雇用保険の制度に助けられ何とか過ごせました。

<我が家が助けられた制度>
宮城県の場合東日本大地震以降、失業保険は自己都合退社でも1ヶ月待機ですぐ支給される。
・コロナウイルスが流行ったことにより失業保険が180日から240日に延長。
特別定額給付金が国民一人あたり10万円支給。
※お住まいの地域の制度により異なります。

トリ先生

いくら制度が充実していても定期収入が間も無く絶たれるという
不安は付きまといました。加えて景気の悪化。
自殺者が増えたという報道もあり、気持ちは暗くなる一方でした。

次回に続く

次には3回目の転職に向けて夫が歩んだ道について書いてみます。興味がある方はまた読みに来ていただけたら幸いです。本日は番外編のような内容ですが、オレンジコカムの日々では当たり前の毎日をちょっと楽しくをモットーにおすすめの食品やトレーニンググッズなどについて書いています。またお越し頂けたら嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございました。