ミッシェルガンエレファントと会えない友達のこと2
前回ミッシェルファンになった約20年前の回想記を
書きました。今回は続きものです。
前回の記事では、友達に誘われてミッシェルガンエレファントのライブに行き、まんまと大ファンになってしまったことを書きました。今回はその後編です。ファンでしたが個人的な回想中心です。悪しからず・・・
ミッシェルファンになってから
名盤ギヤ・ブルーズを聴き、1999年1月に行われた仙台夢メッセのライブを観てから、ミッシェルにイカれライブを待ち焦がれる生活に入った私。ミッシェルが好きな気持ちを分かち合える相手としてもこちゃんという友人ができました。(ここからから前回までの内容です。)
その後、数回ミッシェルのライブに参戦。大きい箱だけでなく、小さなライブハウス「ビーブ・ベースメントシアター」のライブも経験しました。こうしてますますミッシェルへ気持ちが高まりました。
前回の記事はこちらです↓↓↓
ベストアルバム「RUMBLE」
- 1 キャンディハウス
- 2 オートマチック(トランジスタ・バージョン)
- 3 君に会いに行こう
- 4 カルチャー
- 5 ランドリー
- 6 カーテン
- 7 CISCO〜想い出のサンフランシスコ(She’s gone)
- 8 ゲット・アップ・ルーシー
- 9 スピーカー
- 10 スパイダースパイダー
- 11 深く潜れ
名盤 RUMBLE
その後1枚目のベストアルバムが1999年8月に発売されます。このアルバムには、3thアルバムまでの名作が収録されていて、ミッシェル初心者もライブで演る曲をくまなく知れるアイテムでした。個人的には「カーテン」「スピーカー」「深く潜れ」などシングルCDのB面に隠されていた名作にグッときました。
「深く潜れ」はマイナーなコード進行が繰り返されます。前半はゆっくり、後半キュウちゃんのカウントで早くなります。渋いなぁ。そしてライブ終盤で必ず演奏されていた、 「CISCO〜想い出のサンフランシスコ(She’s gone)」もミッシェルファンにとって欠かせない曲です。どの曲もアベフトシここにあり、と言いたくなるギターソロが散りばめられていて、圧巻の格好良さです。
初期から中期までのベスト版ですが、バードメンやリリィは入っていません。ちなみにミッシェルを語るとギターの印象が強いため、アベさんについて書いてしまうのですが私はチバさん好きでした。
ライジング・サン・ロックフェスティバルに行く
ミッシェルファンになった私の愛読誌は目下「ロッキンオンジャパン」でした。他の雑誌よりなんとなく紙質が好きで(そんな理由かい)いい写真と文章にあふれていたロッキンオンジャパンを毎月買いに行きすみずみまで読みました。
そこで1999年に初めて北海道は石狩ふ頭で開催されたロッキングオン主催のロックイベントへ行きました。なぜなら、ミッシェルガンエレファントが出演するためです。これまで、友達と旅行に行きたいなどと思うこともなかった私が北海道までフェスに行くのは自分にとって大きな変化でした。
まず出演アーティストが豪華でした。ミッシェルガンエレファントの他、電気グルーヴ、ナンバーガール、椎名林檎、BLANKY JET CITY、UA、DRAGON ASH、スーパーカーなど他にも多くのアーティストが出演しました。
この伝説とも言える初回のライジング・サン・ロックフェスについては細かくブログに記録を残している人がいました!それは唸るくらい素敵な文でした。おかげて私は今でも当時をすぐ思い出すことができます。20年前のことを昨日のように振り返らせてくれるネットは便利ですね。
もこちゃんと行ったライジングサン
もこちゃんと、北海道に行くのは初の旅行で私がホテルや飛行機の手配するも初めてでした。もこちゃんともう一人、川瀬くん(仮名)というまだ見ぬ彼とフェスに行くことになりました。川瀬くんは友達Bちゃんの彼氏で、生粋の音楽好きでした。音楽に興味が薄いBちゃんが「一緒にフェスを観てやって」と頼み込んできたので一緒に参戦することになりました。
私ともこちゃんは飛行機で移動し、前泊でホテルに泊まりました。一方、川瀬くんは青森から青函トンネルを抜ける電車で北海道に来て、前日は野宿というスケジュールでした。ここで、突如、男子が混入したのです。しかし、友達の彼だけど好きになってしまいトラブルに・・・などとはなりません(笑)。みんな生粋の音楽ファンで音楽以外のことは頭にない若者たちでした。好きなライブに参戦したい!という思いだけではるばる北海道まで来たのであります。(はるばるきたぜ、石狩へー♩)
最高だけど過酷だったライジングサン
また初回のライジングサンは夜通し行われました・・・・。過酷・・・。なんか眠かったはずなのですが、寝落ちした記憶はなしです。ナンバーガールでフェスに来たことを実感し、イブニングタイムのミッシェルで全力で跳ね、ブランキーでは叫び、朝方のサニーデイ・サービスまで夢中でいたと思います。スーパーカーの瑞々しさ、椎名林檎のキュートな弾き語り、UAののびやかな歌声も心に残りました。しかし会場でもこちゃんや川瀬くんと何を語り合ったかは覚えていません。何かを食べたと思いますが、それも全く・・・。
朝方、石狩ふ頭からバスが出ていてそれに乗ったときにやってきた疲労感は忘れられません。泥のように疲れて、頭からつま先までがすなぼこりだらけ。鼻の中にも砂が入り込んでいたこと。「ああ、フェスが終わった・・・夏が終わった・・・」という心にぽっかり穴が空いた感じ。もうすぐ飛行機に乗るからホテルで帰る準備をする必要があり、猛烈に眠いが寝てはならないいうハードさが印象的でした。ちなみに、飛行機の待ち時間たまらず函館空港床で寝ました。
川瀬くんに音楽を教わった
ライジングサン・ロックフェスに一緒に行った川瀬くんとは、その後も音楽を通じた交流を続けました。CD屋さんでアルバイトをしていた川瀬くんはよく、カセットテープやCD-Rに様々な音楽を入れてミッシェルのポスターやなんかと一緒に渡してくれました。今思うと優しい方でしたね。
彼がカセットに入れてくれたフィッシュマンズとの出会いが私にとって大きな事件でした。その後フィッシュマンズは私が一生で一番聴いている時間が長いバンドになったからです。ただフィッシュマンズ愛は深すぎてブログには書けません・・・。
他にも、中村一義やGO!GO!7188やキック・ザ・カンクルー、The Charlatans、クラフトワークなども彼作のテープに入ってました。何故なんだ、電気グルーブは「ジャンボタニシ」が入ってました。今思うと「虹」とかいい曲ほかにもあるよね!
私はたぶん男女の友情は成立すると思います。お互い見ている方向が一緒であれば・・・。こうして私は川瀬くんによって一生聴き続ける音楽を得ました。
川瀬くんとその後(余談)
川瀬くんとはしばらくやりとりをしましたが、就職を機に仙台を離れてしまったようです。ある日携帯に入れたメールがエラーで戻ってきました。電話番号も不通。その時は寂しく感じましたが、ひとつの時代を一緒に体感しただけで別れを言い合うほどの関係ではなかったようです。
私も自分の生活で忙しくなり、いつの間にか彼のことは忘れていました。ただ、フィッシュマンズを聴くと川瀬くんからもらったテープを初めて聴いた衝撃を思い出します。川瀬くん音楽を今でも聴いているのかな。一生楽しめる音楽を教えてくれてありがとう。きっと会うことはもうないけど。
GT400と新しいミッシェル
話しは戻りますが、「ギヤ・ブルーズ」のあとミッシェルは「GT400」というシングルCDを発表します。もこちゃんと私はミッシェルがラジオを公開録音するというので聴きに行きました。ギヤ・ブルーズという作品の疾走感や切なさとは異なる力の抜けた雰囲気の「GT400」。この曲にはどこまでもバイクで広い荒野を走れそうな希望、明るさを感じました。
チバのビジュアルもこの頃から白スーツにオールバッグになったりし、新しさを感じたことを覚えています。しかし、私にとっての最高傑作は「ギヤ・ブルーズ」だったのかもしれません。私が擦り切れるほど聴いたミッシェルのCDは「ギヤ・ブルーズ」でした。
次回に続く
今回は、ミッシェルファンになった私が北海道のライジングサン・ロックフェスに行ったこと。新しく現れた友達に音楽を教わったことを書きました。次回は大好きになったミッシェルへの思いの変化について、もこちゃんとの関係の変化も書きます。誰も読んでいないかもしれませんが(笑)
音楽に心を燃やした経験がある人も、これからの人も!ぜひ楽しい時間をお過ごしください。拙い文を最後まで読んでいただきありがとうございました。
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